「ご飯大盛り無料」、「ご飯お代わり自由」、「ラーメン替え玉一杯無料」、「ご飯、味噌汁、サラダ食べ放題」。飲食店に行くと、こんなサービスをよく目にする。普通盛と同じ料金で大盛りを食べられる。最高にコスパがいい。最高。
と、昔のぼくは思っていた。ぶん殴ってやりたい。今は、ご飯大盛りを頼むのはむしろコスパが悪いと思っている。
というわけで今回は、どうしてご飯大盛り無料を注文することがコスパ悪いにつながるかを解説していく。条件反射で大盛り無料を注文する人に是非読んで欲しい。
大盛り無料は溢れている
日本の飲食業は豊作。道を歩いていれば、必ず一軒は飲食店が目に入る。そして、飲食店が多ければ、価格競争やサービス競争が始まり、飲食店は次々安くて高品質な料理とサービスを提供し始める。老後2000万円問題に怯える庶民にはとても助かる。
で、飲食店のサービスでよく見かけるサービスが、「大盛り無料」や「お代わり自由」。ラーメンなら、「替え玉無料」。何と、ご飯の量が増えても、料金が変わらない。救世主。ぼくも学生時代にはお世話になった。
「大盛り無料」や「お代わり自由」の代表的な飲食店
大盛り無料で有名なのは「大戸屋」。ごはん180gでも270gでもお値段そのまま。すごい。
お代わり自由で有名なのは「やよい軒」。定食を注文すれば、何杯でもごはんが食べられる。すごい。
大盛り無料で100円得をする
では、ご飯を大盛りにすると我々はいくら得をするのか、大戸屋を例にして考えてみる。
大戸屋のご飯単品の料金は、190円(税込)。大盛りにするとご飯の量が1.5倍になるので、190円の半分、つまり95円が無料でもらえる計算だ。中途半端なので、100円得をすると考える。
もしもお代わり無料であれば、頼めば頼むほどお得になる。お代わり1回で190円、2回で380円、3回で570円、と、完全な倍々ゲーム。
大盛り無料やお代わり自由は、日本の飲食業界が生んだコスパのバグ。大盛り無料を頼むのはコスパが悪いとか言っているやつは、頭が悪い。どんな馬鹿がそんな主張をしているのか見てみたい。
大盛り無料のカロリーはいくら
が、ここで一つ考えなければならないことがある。食べたご飯はどこへ行ってしまうのかということ。
答えは一つ。食べた人の体の中だ。摂取したカロリーは、ちゃんと食べた人の体内に蓄積される。要するに太る。
成長期で大量のエネルギーを必要とする子供たちにとっては多少カロリーが増えたところでどうってことないどころか、成長に使われるので最高のコスパになる。が、成長を終えて太りやすくなった運動もしていない大人たちに対しては、話が変わる。食べすぎたご飯は脂肪にしかならない。絶望。
で、太ったことに気づいた大人はダイエットを始める。食事制限や運動を始めて、体についた脂肪を落とそうとする。大盛り無料やお代わり自由を食べて体重を増やし、わざわざ時間をかけて体重を落とす。こんなに無駄なことはない。
ちなみに、大戸屋の公式サイトによると、ご飯一杯のカロリーは302kcal。大盛り分のカロリーはその半分、151kcalとなる。無料の言葉に目をくらんだ我々は、一時の欲望に負けて大盛りを頼み、その後151kcalを減らすという地獄のような使命を課せられることになる。
大盛り無料のカロリー消費に30分
では、151kcalを減らそうと思うと、どの程度の運動が必要なのかを考えてみる。
計算は、ke!sanの「生活や運動の消費カロリーの計算」を使用する。体重は、日本人の成人男性(30~50代)の平均体重70kgを指定。
ke!sanによると、「歩き(平地、93m/分)」の活動を30分することで消費カロリーは158kcal。「歩き(平地、107m/分)」の活動を30分することで消費カロリーは184kcal
だいたい、ご飯大盛りで摂取する余剰カロリーは、30分間歩き続けることでプラマイゼロにできる。
つまり大盛り無料は100円もらって30分を捨てる最悪のコスパ
つまり大盛り無料は、100円もらって30分を支払う最悪のコスパ。
100円安い事実に目がくらんだ我々は、大盛りを何も考えずに選び、大盛りによって余分についた脂肪を落とすため、30分間を運動に充てる。30分の労働でもらえるものは100円無料券。時給にして200円。最低賃金を大きく下回る。地獄。
食事の時くらい好きなように食べさせてくれよという意見も分かるが、食事という日常に大盛り無料を採用することで、日常の外にある余計な運動が30分必要になるとなれば、どう考えてもコスパが悪い。運動する時間をコンビニバイトにでも当てれば、100円無料よりもはるかにお得な未来が待っている。
量よりも質に幸福を感じるべき
結局、量よりも質に幸福を感じられる人の方が幸せになれる。
「焼肉食べ放題に来たからには元を取らなければ」と言いながら、満腹のお腹にさらに焼肉を詰め込んでいくと、ご飯は楽しくない。自分が満足したらそれで食事は終わり。大盛りじゃなくても満足できる食事に、わざわざ大盛りをつける必要はない。
我々は、自分にとっての幸福を理解し、自分にとっての幸福にはつながらないが、ついついやってしまう無駄な食事を人生から排除したほうが、幸福を感じられるのかもしれない。